桜庭一樹「少女を埋める」(『文學界』2021年9月号掲載)

2021年9月7日読書

桜庭一樹「少女を埋める」(文藝春秋『文學界』2021年9月号掲載)読解

スレッドになっています。

上記ツイートからスレッドにしてTwitterに投稿しましたが、主にリーダビリティーのためにこちらに転載して整理しておきます。なお転載にあたり適宜見出しを追加し、スレッド用の「承前」「続」などは省きます。

「埋める」について

山陰地方特有の重たい雲、厳しい気候、しかし豊穣な美味も人々にもたらす……。冬子にとっても冥界の入口のようにも見える「鳥取」の土地に「少女を埋める」のは土地の風習・社会であり(共同体維持の人柱として)、またはそこで生きると決めた自分自身でもある。

しかしよく見ると埋められきらずに過ごしている者飛び出して逃げた者もあり、さらに埋められた者にもそこに埋もれて生きると決めた自分の矜恃もある。 埋められそうになった自分たちのあらがい方と、生き方のそれぞれが描かれる。

note後の内容も展開が続くので、全文読むべき。 葬儀での親族とのやりとり、母との確執原因、祖母と母との関係やファミリーヒストリー、帰京後の冬子の自分の立て直しの努力と変わっていく日本、世界の姿と思いが綴られる。 能、仮面。鳥取の民話が最初と最後で繋がっていく。

鴻巣友希子さんの https://twitter.com/yukikonosu/status/1432006772961644548?s=20 には故郷を離れた私をも撃たれてしまう。 冬子は故郷の共同体のあり方や母の逸脱を自身の生活に包容しない生き方を選ぶ(『逃げ恥』や『カルテット』への言及あり)。冬子は、故郷ひいては日本の、共同体のあり方は時代の最適解ではない、と考える。

時代の最適解とは、

共同体は個人の幸福のために、社会はもっとも弱い立場の者をみんなで支えるために存在すべきだと。

「文學界」2021年9月号p.72

時代の最適解。 共同体から個別性は聖痕と見なされ(時に人柱として『埋め』られることに繋がると読んだ)、また、異分子は免疫力で排除されるウイルスとされる。しかし違うのだと、

我々がそれぞれ異なる資質を持つ個人であることは、そもそも、祝福なのだと。

「文學界」2021年9月号p.72

埋められないために、冬子は/桜庭一樹さんは、いずれの形かでは抗わねばならなくもあるのだ。 私自身も しかし後半につれ、作品がそもそもコロナ禍にも接続されていたのが次第にはっきりしていったのはスリリングだった。

「虐めた」について、小説テキストに書かれていることから考える。

他人にも家族の「守るべき者、いちばんか弱い存在」(p.26)の冬子にも優しく穏やかだった父に対しての母の「虐め」(p.43)とはなんだったのか。小説文面だけから読解する。

スレッドになっています。

桜庭一樹「少女を埋める」(『文學界』2021年9月号) 母の言った「虐めた」(p.43)とは。 保守的、封建的な「鳥取」にあって、母が父と「共に歩んだ」(p.40)こと、娘から指摘されたように「お互いに向きあってたから性格や考え方がちがいすぎてぶつかってた」(p.28)ことを指す。

以下私の解釈 それは母が夫婦のあり方や自身の生き方として誇りにも思っていることであるが、保守的な鳥取で外から見た姿としては母のわがままに見えただろうし、母自身もそういった見え方も意識している。

母は気持ちや生活すべてを父に捧げたわけではなく、自分や祖母を、もしく母の脳内に存在する母が考える「冬子」を優先したときもあったろう。

読者としてはそれを父は本当はどう思っていたのかも気になった。私自身はここ、クリスティーの『春にして君を離れ』っぽいな、と思ったりしたし、作品では、共同体で各自が役割をわきまえ、仮面を被って暮らすさまが明らかにされていく。

仮面と共同体、家父長主義と母子密着

p.55〜58の冬子の考察は重要で、この小説の謎解きにもなっている。「社会も、家庭も、男性中心の封建的な形をしていて、だからこそ、理不尽に抑圧された女性たちは子供と密室に籠もってしまう」(p.55)。

家父長制と母子密着の因習社会」(p.56)は一家のあり方、個人の生き方に深く影響し、人を縛り付ける。

母が帰省した冬子に20歳の頃の好物を渡してしまうところ(p.15)は帰省あるあるの愛情でもあるのだけれど、二人の二、三十年に渡たる長い精神的断絶、母のなかで冬子が20歳で止まってしまっていることを示す。

実家の冬子の子供部屋だった部屋を自分の部屋として使い続け、部屋の壁などに隙間なく自分の書いた付箋を『耳なし芳一』状態にしているのは(p.31)、抑圧から逃れた母子密着の密室、母自身を守る部屋だったのではあるまいか。

私自身のルーツが鳥取なので(故郷、は神戸だけど)、私自身が経験したところも読解に影響しています。

父と母の間には愛はあります。 それが共同体の中で役割を通してどう発露され、時にわきまえを求められたのかという。

朝日新聞「文芸時評」について